ハッカーと画家: 言語の力
ちょっと衝撃を受けた。 昨日読み始めたポール・グレアムの「ハッカーと画家」、これはすごい本だ。
結構前に、Matzさんの以下の記事で知ったのだが、
まつもとゆきひろのハッカーズライフ:第3回 ハッカーと仕事 (2/2) - ITmedia エンタープライズ
ずっとブックリストに入れたままだった・・・これも早めに読んでおくべきだった。 実に色々示唆に富む内容で考えさせられる。良い本は刺激をくれ思考させてくれる本だ。
とりわけ衝撃的だったのは、「言語の力」をとうとうと説いてる章の以下の一文。
あたなが難しい問題を解こうとしているなら、問われているのはパワフルな言語を使うか使わないか、ではない。 (a)パワフルな言語を使うか、(b)パワフルな言語と等価なインタプルタを書くか、(c)自らがパワフルな言語の人間コンパイラとなるか、という選択なのだ
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コンパイラがやるべきことを人間がシミュレートするという慣行はただ広まっているというだけでなく、思考を型にはめる作用がある。 例えば、オブジェクト指向の世界ではよく「パターン」というのを耳にするだろう。この「パターン」は多くの場合、(c)のケース、すなわち人間コンパイラが動作してる証拠なんじゃないかと私は思う。
こりゃ、こういう視点なかったな。 言語レベルでパラダイムが変われば、パターンとかフレームワークとかは、実はそもそもいらない。 このものの見方があるかないかでずいぶん違うな。